頭の隅で気になっていたことが、ふとしたことで解決されるのはうれしい。
自宅から駅までの間の、ある民家の庭に個性的な植物があって、毎度見るたびに気になっていた。
黄色くて大きいラッパみたいな花が下向きに咲いている。
何の根拠もなく「へちまかな?」などと思って、気になりつつも調べずにいた。
ある日、その植物のそばの壁に「この植物は“エンジェルトランペット”といいます。」と貼り紙があった。「へえ」と思った。そんな名前だったのか。へちまではなかったんだ。
個性的な植物なので、気になった人がたくさんいたのだろう。いろんな人が民家の前で立ち止まり「何だろう?」とささやき合ったりされるのが鬱陶しかったのかもしれない。時には呼び鈴を鳴らして「これは何という植物ですか?」などとわざわざ聞く人もいたかもしれない。
貼り紙をしておけばそんなストレスは軽減されるだろう。
その植物の名前を知る前、知人たちと行ったカフェに“エンジェルトランペット”があった。
「これ何ていう植物だろう?」と言う知人Aに、私は何の根拠もなく「へちまかな?」と言った。
遅れてやってきた知人Bもその植物が気になり、「これ何ていう植物だろう?」と言った。それに対し、知人Aは「何ていう植物だろうね」と言った。
数分前に私が提供した“へちま”かもしれない可能性を無視したのは、知人Aが、これがへちまではないことを知っていたのかもしれない。