シャーペンの芯を補充するとき、うれしさを感じる。
毎晩、日記を書いている。
大学ノートに、その日の出来事や、考えたことなどを書く。
数行で終わる日もあれば、数ページにわたる日もある。
書くのに使うのはシャーペンで、何日かに一度、芯を補充するときが来る。
そのとき、「たくさん書いたのだなあ」と実感し、うれしくなる。
自分という人生を生き、その一日一日に、書き留めておきたい出来事や考えがあったという事実が、シャーペンの芯1本分という質量として証明される。
ひとケース分のシャーペンの芯を使い終え、新しいひとケースを買うときはもっとうれしい。
これからの一日一日に、どんな書き留めておきたい出来事や考えが起こるのか、わくわくしているのだと思う。
私にとって、日記を書くことは1日の最後に無心で没頭できる大切な時間であり、1日を締めくくる大切な儀式となっている。
そういえば、書くばかりで見返したことはほとんどなかった。
適当に手に取ってみた数冊の過去の日記には、こんなことが書かれてあった。
「」
「」
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「」
「」
私はこれからも毎晩、日記を書き続けたいと思う。
上の五つの鍵括弧には、実際に日記を読み返し、特によく書けているものを抜粋して記すつもりである。