スニーカーを買った。

その日の夜、そのスニーカーのことを何となく検索してみたら、「ダサい」という評判を多く見つけてしまった。
凹んだ。

次の日、そのスニーカーは履かなかった。

その夜、ネットでもう一度検索してみたら「そのスニーカーはダサくない」という内容の記事を見つけた。
「ダサいと言われているが、そんなことはない。」
と主張していた。
いや、このスニーカーどんだけ物議かもしてんねん、と思いながら続きを読む。
「あのスニーカーをつかまえてダサいと言っている者こそがダサい。そしてそんなことを真に受けて凹んでいる者がいるとしたら、その者もキショい。」
という主旨のことが書かれてあった。
何はともあれ、思い直すことにした。
自分が選び、自分が良いと思って買ったスニーカーだ。
誰が何を言おうと、自信を持って履けばいい。

次の日、そのスニーカーを履いた。

同僚が、そのスニーカーを誉めてくれた。
とてもうれしかった。
やっぱり自信を持って履けばよかったんだ、と救われた気持ちになった。
その同僚に、うれしい気持ちを丁寧に伝えた。
気に入って買ったスニーカーがネットではダサいと評判だったこと。
ある記事を見て思い直したこと。
誰になんと言われようと自分の選んだものを自信を持って履こうと思ったこと。
自信を持って履いてみたらあなたが誉めてくれたこと。
それがとてもうれしかったこと。

同僚は、「おれはネットでダサいって評判になってるスニーカーを誉めてしまったってこと?」と言って凹んでしまった。

ネットでの評判を真に受けて凹むなんて、とてもキショいと思った。