大阪万博の開催決定を音楽で支え、そしていときんさんへの思いと大阪への愛をたっぷり詰め込んだ『この街の空』。6年後の2025年、大阪万博の開催まで紡がれるであろうこの曲を引っ提げ、今年2019年には結成20周年の全国ツアーも開催した。20年に及ぶ音楽活動の中で、変わったもの、変わらなかったものはあるのだろうか…

「新しいサウンド的な、技術的なことは取り入れますけど、精神的なものというか考え方っていうか、ET-KINGらしさは変わらないように心掛けてますね。時代と共に流行も変わってくるし、それこそ音楽を聴くツール自体も変わってきてますよね。僕らはCDが全盛のころから活動してるんですけど、今はもう、全部ダウンロードして聴くことが主流になってきてて。音楽に対する聴く人の価値観っていうのも多分、だいぶ変わってると思うんですよ。最近の若い人たちは、曲を最後まで聴く人が少ないって話も聞きますし。今は情報が溢れてるし、音楽も溢れてるから、サクっと聴ける曲が受け入れられるのかもしれない。でも、そんな感じで、音楽を聴く環境やスタンスが変わっても、自分らしさは絶対無くさんとこうっていう思いはありますね。僕ら昔から心掛けてることがあって、『ET-KINGの曲は手紙やで』っていうのをずっと言ってるんです。僕らってメンバー全員音楽の趣味がバラバラだったんですけど、唯一共通して好きなバンドがいてて、それが『THE BLUE HEARTS』。僕ら当時中学生くらいだったんですけど、子供心に『すげぇ~なぁっ!』って、何かすごい伝わるものがあったんですよね。歌詞を見てると、連れが自分の言葉で話し掛けてくれるような、自然と耳にも心にも入ってくる感じ。大人になって聴いても『やっぱり良いなぁ』ってなる。時間がどれだけ流れようが、僕らも自分たちの言葉でしっかり伝えんとアカンなってなりましたね。それに『目の前の人に音楽届けなアカン』っていときんもずっと言うてたんで。多分、これからもその考えだけは変えずにやっていこうと思ってます」

音楽と真摯に向き合い、“今の音楽シーン”を大切にしながらも“昔から変わらないマインド”も大事にしているKLUTCH氏。いつ聴いてもET-KINGの歌が心を掴むのは、いかにも美辞麗句を並べた上っ面の歌ではなく、友達に語りかけるように、自然な言葉で聴き手に寄り添ってくれる、そんな歌をブレずに発信し続けているからなのだとわかる。そんな多くのファンを魅了するET-KINGのKLUTCH氏に、単なる音楽好きの筆者はテンションが上がり、話はKLUTCH氏の音楽のルーツへと進んでいく…

「一番最初は中学時代、ビジュアル系のバンドをすごく聴いてて、LUNA SEAの曲とかをコピーしたりしてたのが音楽に触れるきっかけになった感じですね。その時、僕はギターを担当してたんですけど、高校になってレゲエに出会って、友達とDJみたいなことを始めたんですよね。3人でやってたんですけど、そこでブラックミュージックにハマっていって。さっきの『THE BLUE HEARTS』もそうなんですけど、色んな音楽に触れるのが好きなんですよね。そんな感じで高校卒業して福祉系の専門学校に進学したんですけど、そこにね、いたんですよ。いときんとTENNとセンコウが。彼らと出会って、最初はこう、クラブに行ったりとかスケボー一緒にやったりとかして過ごしてたんですけど。専門学校卒業してから、皆就職して働き出してなかなか会えなかったんですけど、何か集まって飲み会することになって。そこで色々話してたんですけど、『何か学生の時は楽しかったなぁ』みたいな話してて、飲み進めていくうちに『若いうちにしかできへんことやろうぜ!』って話になって、僕といときんとTENNでバンドやろうってことになったんです。それで、2人とも高校時代にバンドやってて、いときんはドラムとベース、TENNはドラムを確かやってたんかな。で、パートを決めようとしたら僕も含めて、3人全員が『ボーカルやりたい!』って言いだしたんですよ(笑)。『それやったらバンド無理やん!(笑)』ってなって。それで、今のスタイルで音楽を始めることになったんですよね」

専門学校で出会ったKLUTCH氏といときん氏とTENN氏の3人。後に、5ボーカル、1DJ、1MCという7人構成のET-KINGとして日本の音楽シーンにムーヴメントを起こす。その最初の一歩は、まさかの「全員がボーカルになりたいから」という斬新な結成理由だった!筆者もさすがに予測していない結成理由に思わず笑ってしまった。しかし、そのノリもやはりET-KINGらしいと、どこか納得してしまう。現在KLUTCH氏はET-KINGの他に、2つのバンドに参加しているが、こちらも結成理由はユニークなものだろうか…

「1つは『How many RED?』っていう2人組のユニットなんですけど、相方がTAKAっていうやつで、昔からクラブのイベントとか現場でよく一緒になってたやつなんですよ。歳は僕より1つ下なんですけど、音楽のキャリアでは向こうの方が先輩で、メジャーデビューも彼の方が早かったんですよね。色んな現場で一緒にLIVEとかしてて、仲良くなったんですけど、ある時急に『大学行く!』って言いだして(笑)。それでほんまに大学行っちゃって、今は大学院生やってるんですよ。何か『音楽と人の仕事に対するエネルギーがどう関係するのか』みたいな論文書いたりして、海外に行ったりしててね。充実してるとは思うんですけど、何か最近『音楽をちゃんとやれてないなぁ』ってTAKAが言ってて。音楽の現場からも結構離れてたんで、今から(音楽を)しっかりやるっていうのもどうなんやろうっていう葛藤があったみたいなんですよね。でもそれを聞いた時に、僕からするとTENNやいときんが亡くなったりっていうの間近で見てて、音楽やりたくてもできへんようになったやつもおるし。。。それでTAKAに『出来るんやったらちょっとでも音楽一緒にやろうや』って声掛けてユニットを結成したんですよね。なので、精力的に活動してるっていうわけではないんですけど、ちょこちょこ曲を作ってライブで歌ったりって言う感じで活動してますね。僕は音楽やることに関しては何もストレス感じないんで、僕が入ることで仲間が音楽と繋がれるなら喜んで参加しますよ」

音楽がやりたくてもできない人がいる。そんな仲間を目の当たりにしたからこそ、やりたいけどきっかけがないという仲間には率先してKLUTCH氏自身が『音楽と仲間の架け橋』になろうとしてるのではないだろうか。。。

「もう1つのバンドの『なにわボーイズ』は、僕を入れて5人のメンバーでやってるんですが、全員僕より年上で、皆さん経営者なんですよ(笑)。じゃあなんでそんなメンバーが集まったかっていうと、メンバーの1人の先輩が三線やってる不動産会社の社長さんで、石垣島の方の離島に旅行に行ってえらく感動しはったんですよ。それで『KLUTCHも今度一緒に行こうぜ!』って誘われて、そしたらその先輩の高校の同級生も呼ぼうとなって、まぁ、その人も不動産会社の社長さんやったんですけど(笑)。それで、さらに違う人も紹介するわってなって、次は電気工事会社の社長さんで(笑)。その人は元々落語家さんの付き人やってはった異色の人で、こんなメンバー揃ったら面白くなるに決まってるじゃないですか(笑)。それで、僕も別の先輩に、『こんなメンバーと石垣島に行くんです』っていう話をしたら、あ、ちなみにその先輩も焼き鳥屋の社長なんですけど(笑)。その焼き鳥屋の先輩も行くってなって。僕と社長たち4人の計5人で八重山諸島にある鳩間島っていうところへ旅行に行ったんです。歩いても30分で1周できるような何もない島なんですけど、そこで皆で泡盛飲んで、本当に何も無いんで、ひたすら酒飲んで語る(笑)。で、色んな話してる中で、皆さん青春時代は仕事しかしてなかったっていう話になって。ようやく今、経営者になって時間に余裕ができてきたと。そしたら『そんなんやったらせっかくやしバンドやろうや!』ってなって。楽器出来る人が少なかったから、三線とギターとトリプルボーカルみたいな感じで結成しました(笑)。仕事に没頭してたっていう先輩方と一緒にもう一回青春を味わおうっていう思いで。だから一番最初の曲もそんな思いを込めた歌で、『どぅし』っていうんですけど。沖縄の方言で『友達』とか『親友』っていう意味で。『青春時代を取り戻そう。そのきっかけをくれたのは友達やし』みたいな歌なんですよね。ぜひ聴いてみてください」

先輩の旅行の誘いからバンド結成へ。そんな急転直下の展開も、全てはKLUTCH氏の“人との出会いを大切にする心”と“仲間を思う気持ち”があればこそ。周囲の人間がKLUTCH氏を通して、音楽と再び向き合ったり、青春を取り戻したりしている中で、KLUTCH氏自身が大切にしていることは何なんだろうか…

「そうですねぇ。まぁ、言霊ってわけじゃないんですけど、ET-KINGの『愛しい人へ』っていう曲の、僕の歌いだしの歌詞で『おおきに! この出会いに感謝』っていうのがあるんですよ。それをもう、10年くらい歌い続けてる中で、やっぱ人との出会いを大事にしようって常々思ってるんですよね。やっぱり僕の名前が『KLUTCH ※』なんで、アクセルでもブレーキでもない、“クラッチ”なんですよ。だからやっぱりその、音楽で人と人とを繋げられた時がすごい幸せというか、『音楽やってて良かったなぁ』って思えますよね。だから、これからも色んな人を音楽で繋げたいなっていう思いはあります。後、これはET-KINGとしての目標になるんですけど、やっぱり紅白(歌合戦)に出たいですね。老若男女誰でも知ってるし、一番親孝行にもなる。僕らの中で日本一の舞台やと思うんでいつまでも目指していきたいですね」
※クラッチの正式な単語『CLUTCH』に本名の頭文字である『K』を掛けて『KLUTCH』という名前を使用

2025年大阪万博の誘致応援ソングを任された『ET-KING』のKLUTCH氏に、万博への思いやET-KINGについて、音楽のこと、人との繋がりなど、さまざまなお話をvol.1・vol.2の2部構成でお届けした今回。KLUTCH氏の出会いを大切にする姿勢と『音楽と人』『人と人』を繋げる才能にただただ感服するばかりだった。紅白出場の夢を応援するとともに、『この街の空』を2025年まで繋いでいこうと思う。

なお、9月にはET-KINGが主催のフェスを地元大阪のなんばHatchで開催!
その名も、『LOCO OSAKA 2019 〜ぜったい損はさせま編〜 』
9/21(土)&22(日) @なんばHatch
ET-KING20年の歴史の中で繋がった全国各地のアーティスト陣を迎え、他では味わえないフェスを開催! また会場横の湊町リバープレイスでは“大阪のカルチャーや美味いグルメ”を楽しんでもらえる『祭』を行うとか!(しかもこちらは入場無料で誰でも参加可能!) ぜひ会場と外を行き来して全力で楽しんでしほしい!
全国から遊びに来るお客さんに『大阪おもろいな!』と感じてもらえる、まさに“ET-KINGらしいお祭り”だ。
20周年は他にも“おもろいこと”が目白押し! 詳しくはこちらから!!