空き時間を使って“漫画家”としての活動を行い、本業の“漫才師”も全力でこなすこいで氏。どちらもアイデアと創造性が必要とされる仕事だが、ネタや構成、考え方に違いはあるのだろうか……

「漫画の方はシチュエーションを絵で伝えることができる。これがやっぱり1番の違いですね。漫才は設定や雰囲気を言葉で伝える必要があるから難しい。『ここに人がいてて、ここには公園があって、それを見てる人がここにいて…』みたいなね。それを漫画は全部1コマで描いて伝えることができる。言葉が要らないっていうのは大きいですね。だからというワケじゃないですけど、漫画の見やすさとかを考えた時にセリフは少なめにって考えてます。それ以外に僕が漫画を描く上で気にしてるのは、漫画の登場人物。芸人もそうですし子どもたちも。この人たちは実際にいてはる人たちなので、やっぱりこの漫画を通して少しでも好きになってくれるようにって思いながら描いてますね。芸人さんはもちろんですけど、公園で僕の子どもたちに声を掛けてくれた子どもたちとか。実際にいてる人で、みんな良い人ばっかりなんで。まぁ、絵的にはイヤな感じになってますけど(笑)。作品中のキャラも事前に『変に描きますんで』って芸人さんに連絡入れるんですけど、みんな『全然良いよ』って言ってくれるんです。先輩の小籔さんや後輩の大悟とか色んな芸人さんを描かせてもらってます。ちなみに描くのが断トツで難しいのが(月亭)方正さん。童顔の大人って、シワを描いたら老けすぎるし、若く描いたらあの方正さんじゃなくなるから。基本的に芸人さんを描く時は写真を見ながら描くんですけど、最初に選んだ写真から他の写真に変更することなんて今まで無かったんです。方正さんの時に初めて『写真変えよう』ってなりましたね。無理や描けへんって(笑)。なんせペンで描いてるんで。鉛筆描きやったら細かいシワとかも描けるし大丈夫やと思うんですけど。ちなみにペンは筆ペンを使ってます。Gペンは難しくて(笑)。それに結構筆ペンで描いてる漫画家さんが多かったんで『筆ペン良いなぁ』って思って。太い筆ペンとか細い筆ペンとか、後は0.03mmのスケッチ用のペンとか。未だに模索中です」

登場人物に対する尊敬と感謝、優しさを表現しながら笑いを加えて行く作業。そんなこいで氏の感性にファンが心掴まれるのもうなずける。物語の中心的な存在である“家族”は同作品をどのように思っているのだろう……。

「家族は漫画を読んでるとは思うんですけど、みんな照れ屋なんで何も言わないですね(笑)。でも一番下の子は小っちゃい時の話やから、(登場人物の)ちこちゃんが自分って気付いてなくて。自分でちこちゃんのキャラを描いてました(笑)。僕も子どもの頃は好きな漫画を真似して描いたりしてたんで、そこら辺は遺伝なんかな。これは漫画でも描いてるんですけど、僕ね『オーマイガットトゥギャザー』っていう全く意味の無い言葉、高校時代からずっと言ってるんです(笑)。で、実は長女の唯にもそういうことがあって(サンデーうぇぶり第12幕・流行り言葉より)、末っ子のちこちゃんにも(サンデーうぇぶり第29幕・ちこちゃんの流行り言葉①より )。全く意味の無い言葉をずっと繰り返すっていう(笑)。そういう所を目にすると、親子やなって感じますね。詳しいストーリーはぜひ『サンデーうぇぶり』で見てください(笑)」

子どもとの何気ない会話や行動を大切にしているからこそ生まれるストーリーの数々。そしてそのストーリーが漫画となり、読者へと繋がっていく。

「これだけ世の中に本があって、自分の作品(パパは漫才師)を読んでくれるっていうのは本当にありがたい。それに読んでくれてる人の意見を聞いてる時は素直に嬉しい。『単行本買ったで!』とか『あの話が面白かったわぁ!』とか聞くとモチベーションが上がります。どれだけ頑張って描いても、中々読んでもらえないですからね。それと個人的には、埋もれていくエピソードが『カタチ』に残るっていうのも嬉しいんですよね。実は単行本の1巻なんかでいうと、半分以上は以前テレビで話したことのあるエピソードなんです。それを漫画に置き換えたっていうことなんですけど、絵の情景が頭に浮かぶからか漫画の方が記憶に残るみたいですね。全ての話に当てはまるワケでは無いんですけど。今回みたいにweb漫画になったり単行本になったりすることで、新たにこの話を見てくれる人が増えたり、紹介してくれたりする。消えてた話がもう一度注目されるのも『カタチ』として残っているからこその喜びですね」

webで、リアルで、こいで氏の漫画が“カタチ”として残る。漫画家冥利に尽きる展開が続いている中で、今後の展望を聞いてみた。

「とりあえず漫画家としての目標というか、今持ってるネタは全部描き切りたいですね。ストックが1年分くらいあるんですよ。そこにプラスアルファで(家族との)話が何個かできるやろうし。そこまでは何とか描き続けたい。それに中野と森本も漫画描けるんで、この2人のデビューを見てみたいっていうのもあります。その時に『パパは漫才師のアシスタントやってました』って言ってもらえたら最高やな。それに僕もこの漫画がもう少し有名になったら、2作目が描けるかもしれへんし。この漫画(サンデーうぇぶり)って1話の制作ページ数が決まってへんから、テンポよく、要らん部分を描かずに好きな所で終わらせてくれるんですよ。これは僕にとってホンマにありがたいこと。ページ数稼ぐために無理矢理要らん部分描いたり、間延びさせるのはイヤなんで。そんなことすると漫画としての濃度が薄まるから、これからもこのまま制作していきたいですね」

ページ数が決まっていないというweb漫画ならではの特徴を活かし、こいで氏らしい濃縮されたストーリーが展開される。『だからこんなに惹きつけられるのか!』と納得すると同時に、既に筆者が惹きつけられている“シャンプーハットの漫才”についても聞きたくなってくる。まずは『劇場やテレビで持ち時間が違う中で、どのように漫才のネタを展開しているのか?』そんな質問を投げかけたところ、漫才の持ち時間の話から、漫才師としての今後についてまで話が及んだ。

「そうですねぇ。漫才の持ち時間って普通は10分くらいやけど、たまに7分とかもあるし、テレビやったら4分とか5分の場合が多い。だから持ち時間が短い場合は、ネタの中でテレビで使いたい部分や見せたい部分をかいつまんで観てもらうことになりますね。基本的に劇場用の10分でネタは作ってるんで。でもまぁ、最近ではネタ作りの時に『テレビやったらココ使おうかな』っていうのを予め考えながら作ってます。テレビの持ち時間5分でやる漫才ももちろん最善を尽くしてます。それでも『あ~、10分全部観て欲しいわぁ』っていう思いはありますね。どっちかって言うとそれは5分メインのネタじゃなくて、やっぱり10分メインで作ってるものやから。だから劇場にももっと足を運んでほしい。そしたらテレビと劇場でのネタの違いも分かってもらえるやろうし。劇場で漫才観てお客さんに『おもろい!』って言ってもらえたら嬉しいから。今漫画を描かせてもらってるのも、やっぱり本業の漫才師が漫画を描いてるっていうのがあるからで、そこは間違えたらあかんと思ってます。他の漫画家さんの細かい絵と比べたら『雑すぎるやろ!』って自分でも思うんでね(笑)。だからこそ、漫才師としての目標である『上方漫才大賞』と『なんばグランド花月のトリ』っていうところはずっと狙っていきたい。スポーツ選手と違って漫才師は衰えないんで、むしろ師匠がどんどん強くなっていくし、衰え待ちなんかしてても無駄ですから。だから頑張ってそれを超えようとせんと。そのためには空き時間なんて作らず色んな“笑い”を創っていかんとだめなんです」

vol.1・vol.2の前後編でお届けした今回。こいで氏の笑いに対する創造力と行動力、もったいない時間が無くなったという考え方に、にただただ脱帽するばかりだった。こいで氏をはじめ、蛙亭さん、森本大百科さんの今後の活躍を期待せずにはいられない。


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シャンプーハット・こいでさん インタビュー【vol.2】今漫画を描かせてもらってるのも、やっぱり本業の漫才師が漫画を描いてるっていうのがあるからで、そこは間違えたらあかんと思ってます。

こいでさん(シャンプーハット)

1994年に漫才コンビ『シャンプーハット』としてデビュー。 “ボケと共鳴”という全く新しいスタイルの笑いで人気を獲得し、デビュー以来テレビや劇場などで見ない日はなないほどの活躍ぶり。『パパは漫才師』で漫画家デビューを果たすなどその多才ぶりを如何なく発揮している。