同じ企画を美術館と博物館で開催。
その違いを改めて考えてみるよい機会になりました。
私は美術史畑の出身で、その観点に立つと、この100年くらいの間、美術史と文化人類学、美術館と博物館は別のベクトルで発展してきたことが分かります。例えば、グラスやお茶碗は美術館と博物館のどちらに収蔵されてもおかしくない。でも、美術館では美術作品として制作者の名前や制作年代が記されますが、博物館の中でも特に民族学の博物館になると、制作者の名前も制作年代も提示されていないことが多いのです。美術館も博物館も英語では同じ“ミュージアム”ですが、日本人はわざわざ別の名称を付けたことで、その区別が強いものになってしまった。だから、それぞれの中にいるとき、私は世界の半分しか見えてないように感じています。
美術館と博物館にはそれぞれ役割があり、その区別をなくすべきと考えているわけではありません。その区別の上に、さらに“他の区別”が乗っかってきていることが問題だと感じています。“他の区別”とは、西洋のものは美術館へ、非西洋のものは博物館へ収蔵されることが多いということ。ヨーロッパに行くと日本のものは博物館にあります。つまり、西洋人にとって自分たちのものは美術館に、それ以外のものは博物館に展示しているのです。非西洋のものは、美術鑑賞としての対象ではなく、異文化を知るための知識としての対象でしかないということ。このような区別があるため、美術館、博物館のそれぞれの中では世界の半分しか見えないと感じるのです。ヨーロッパの作家がつくったものが博物館に入ってもいいし、アフリカでつくたられたものが美術館に収蔵されてもいいはず。美術館と博物館の違いは、コレクションの違いではなく対象物に対するアプローチの違いでしかないと思っています。
だから、私は博物館でつくった展示を美術館に持っていきます。1997年の大英博物館のコレクションによる『異文化へのまなざし』がその最初です。みんぱくの後に東京の世田谷美術館に持って行きました。2008年の『アジアとヨーロッパの肖像』は、アジアとヨーロッパの計18ヶ国のキュレーターと共同で企画したものですが、同一期間に同一タイトルで美術館と博物館で開催したもの。関西ではみんぱくと国立国際美術館で、関東では神奈川県立近代美術館葉山館と神奈川県立歴史博物館で行いました。この企画は海外でもコンセプトを巡回させて、ロンドンとマニラで実施しています。2014年の『イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる』は、すべてみんぱくの収蔵品で構成されていますが、東京の国立新美術館で開催した後に、それを丸ごとみんぱくでも展示。こうした取り組みによって、美術館と博物館の区別を改めて考え直す機会になっているのではないかと思います。
展示作品から次の行動を生み出す力で、
フォーラム型情報ミュージアムを目指したい。
2014年からスタートしたナレッジキャピタル(グランフロント大阪)での連続講座や、あべのハルカスでの講演『地球探検紀行』などの外部活動を通じて、新たなファンを獲得。みんぱくにも若い女性が多く来館してくれるようになりましたが、梅田や天王寺までは来てくれるものの、千里中央を超えて万博公園まで来てくれる人はまだまだ少ない状況です。潜在的にはどこにもないような情報がみんぱくには詰まっていて、その蓄積した内容は間違いなく世界第一級レベル。しかし、情報の発信がまだまだできておらず、関西でも知名度がそれほど高くないという状況です。これだけ使い勝手のある機関なので、どんどん活用してほしいと思います。
そのために現在、「フォーラム型情報ミュージアム」というプロジェクトを進めていて、これはこれからのみんぱくの在り方を示しているものです。フォーラムとは人々が集まって、そこで交流して、新しいものが生まれていくものと定義しています。これは開館30年を経て展示を全面改修する際のコンセプトにもしました。例えば、モノや写真であれば、そのモノを作っていた、あるいは使っていたコミュニティ、写真であれば撮影した現地の人たちと共有して、新たに情報を出してもらいデータベース化。それを新しい共同研究や現地のコミュニティ活動にも利用してもらうことを考えています。
分かりやすい例でいうと、2013年に開催した「武器をアートに」という企画展が挙げられます。モザンビークの内戦後に民間に残った大量の武器を自転車やミシン、農具などと交換して、回収した武器でアートをつくって平和を訴えるというプロジェクト。現地のアーティストたちに、日本に住む人びとへのメッセージを込めて「いのちの輪だち」という作品を制作してもらいました。このモデルとなったのは、モザンビークの同じ作家たちによるブリティッシュミュージアムに展示されている「ツリー・オブ・ライフ」という作品です。そして、この作品を見た南スーダンの文化次官のジョク・マドゥット氏が感激して、同じように武器を回収してモニュメントをつくりたいという意向を表明されました。その知らせを大英博物館からうけたとき、ちょうどプロジェクトの創始者であるディニス・セングラーネ司教を日本にお招きすることにしていたので、合わせてマドゥット氏も日本へお呼びして、お二人をひきあわせることにしました。武器でモニュメントをつくるというプロジェクトはもう南スーダンで始まっています。
結果的に、日本が橋渡し役を担うことで平和構築の新しい動きを広めることができました。我々研究者は、いくら論文を書いてもなかなか実際の平和構築に貢献することはできないのですが、博物館や美術館は展示物を通じて次の行動を起こさせるという力を持っていることを改めて知ることができました。これもフォーラム型の特性に当てはまるのではなないかと思います。みんぱくにはまだまだ潜在的な力が眠っています。これからもいろいろな新しいチャレンジを発信する拠点にしていきたいと思っています。

吉田憲司さん
1955年、京都市生まれ。1980年京都大学文学部哲学科卒業、87年大阪大学大学院文学研究科博士後期課程芸術学専攻単位修得退学。89年学術博士(大阪大学)。博士課程では西洋美術史講座に所属していたが、アフリカの仮面や儀礼について研究。84年よりザンビア・チェワ族の村で2年間のフィールドワークを行い、その間に仮面の秘密結社「ニャウ」のメンバーになることを認められ、現在でもフィールドワークを続けている。国立民族学博物館には88年に助手として着任し、助教授、教授、副館長を経て、2017年4月より第6代目館長に就任。