みんぱくは博物館を持った研究所。
ここが他の博物館とは大きく異なるところです。

国立民族学博物館(以下、みんぱく)は、博物館という名前が付いていますが、難しく言うと国立大学法人法のもとにつくられた大学共同利用機関。簡単に言うと研究所です。何を研究しているのかというと文化人類学・民族学で、これらを大学の人たちと共同研究して、その成果を発表する場所として博物館の機能を持っています。

それと意外と知られていないもうひとつの側面があり、それは国立総合研究大学院大学文化科学研究科の2つの専攻、地域文化学と比較文化学の後期博士課程を教育する大学院大学であること。一般の人が入れるのは博物館だけなので、みんぱくがこのような組織であることはあまり知られていないのです。みんぱくの展示は研究成果の公開の場。ここがトーハク(東京国立博物館)やキョーハク(京都国立博物館)などの国立博物館との大きな違いです。

みんぱくは今年で開館40周年を迎えました。私が着任してもう少しで30年になります。実は、1977年に開館する前からアフリカに関する共同研究がスタートしていました。私の大学時代の先輩がみんぱくの助教授になって共同研究を主宰していた縁があり、見習いとして手伝い始めたのが私とみんぱくとの出会いです。なので、その頃を含めると私とみんぱくとの付き合いは40年になります。

みんぱくが保有している約34万5000点ものコレクションは、20世紀後半以降に築かれた民族誌資料のものとしては世界最大の規模を誇ります。研究者がフィールドワークを通じて持ち帰ったものや寄贈されたものが多いのですが、開館時に核となった古いコレクションがいくつかあります。そのひとつが、旧東京帝国大学の人類学教室(現東京大学理学部)の資料で、考古学系のものが東大に残り、民族学系のものがみんぱくに寄贈されました。もうひとつは、大蔵大臣や日銀総裁を務めた渋沢敬三氏が、若い頃から自宅車庫の屋根裏に集めていたアティック・ミュージアムのコレクションです。もともと自然史系の収集から始まって、日本人の生活に関する資料や現在で言うところの民具を収集していました。このコレクションが、「将来、国立の民族学博物館ができたときには寄贈してほしい」との要望を添えて1962年に国に寄贈され、それがみんぱくができたときにみんぱくへ納められたわけです。

日本に民具という言葉が生まれたのは、渋沢氏のアティック・ミュージアムでの活動がもとになっています。興味深いのは、大正末期に柳宗悦らが民藝という言葉をつくったのとほぼ同時期だったこと。民具だけでなく民話や民謡と、“民”が付く言葉がこの頃に一斉に誕生しました。産業革命が進む中で、農村が疲弊してしまった。そこで農村を再生していく中で、郷土の文化をもう一度見直そうという運動が起こったのです。その時に農村部において「これは俺たちの唄だ、道具だ」と呼ぶ必要が出てきたのでしょう。私はこれを“民(たみ)の誕生”と呼んでいます。

本館の全面改修が10年かけてようやく完了。
30年続いた常設の展示が新しく生まれ変わりました。

みんぱくには収蔵品数をはじめ数多くの世界一がありますが、私にとってみんぱくの魅力とは研究者や職員が夢を実現できること。世界と繋がりたいという想いから研究をスタートさせ、海外でフィールドワークを実施するなど、私もやりたかったことはほぼすべて実現してきました。世界中の研究者と共同研究を行うこともできるし、シンポジウムを開催することもできる。研究を通じて得た成果を発信したい場合は、みんぱくで展示することもできますし、その内容を世界に向けて発信したいなら、国際巡回展示もできます。

建物の設計は黒川紀章氏です。当時、黒川氏は都市や建築において社会の変化や人口の成長に合わせて増殖する、“メタボリズム(変態)”を標榜。開館当時、みんぱくは4つだけのユニットでしたが、その後どんどん増殖を繰り返し、現在では地下1階、地上4階建ての10のユニットから構成されるようになっています。最上階の4階には研究室が“ロ”の字型に並んでいて、廊下を一周すると世界中の言語を誰かしらが話します。世界中の地域における最新のフィールドワーク情報を持っている組織は、日本ではここにしかありません。

どれだけ大きな総合大学でも、例えば京大ならアフリカに強くても南米についての研究者はいないなど、得意不得意があります。先進国と言われる国で、首都に世界全体を見渡すことのできる博物館がないのは日本くらい。その理由はみんぱくが東京ではなく、大阪にあるからです。それだけユニークな組織なので、活用の仕方はたくさんあると思います。

開館30周年のタイミングでスタートした本館の全面改修が今年3月にようやく完了。ちょうど10年かけて、30年続いた常設の展示は生まれ変わったことになります。といっても、限られた展示空間で伝えることのできる情報は限られています。今後は来館者の関心に応じて情報を引き出し、提供できるようにするという、情報の高度化事業を進めていこうとしているところです。

具体的には、現在28台あるビデオテーク(映像システム)を全面的に取り替えます。そして、現在のPSPによる電子ガイドを、スマートフォンを利用した次世代のものに進化させます。展示資料の情報を提供するだけでなく、例えば来館者の興味に合わせて展示場における最適なコースを設定し誘導してくれるようなシステムを開発。展示場で見たものや興味を持ったものの情報がスマホに記録され、ビデオテークのブースに行くと、関連映像や研究情報を見ることができるといった内容です。もちろん、家へ帰るとそれらの情報をPCで見ることができます。さらに、遠方の人がPCのモニター上で展示場を回ることができるヴァーチャルミュージアムの製作も進め、これはすでに公開を始めました。

みんぱくバーチャルミュージアムはこちらから

http://www.minpaku.ac.jp/museum/news/20171206

 

→後編は、吉田館長の博物館と美術館についての考え方やフォーラム型情報ミュージアムを目指すみんぱくについてお話しいただきます。

国立民族学博物館館長 吉田憲司さんインタビュー(2)博物館も美術館も、本来は同じミュージアム。その壁を取り払うことで全世界が見えてくる。|CREATIVE WEB PLACE SNAZZ[vol.2] 博物館も美術館も、本来は同じミュージアム。その壁を取り払うことで全世界が見えてくる。

国立民族学博物館 吉田館長インタビューvol.1「地球全体の民族学・文化人類学を網羅した、これだけユニークな組織はどこにもない。」

吉田憲司さん

1955年、京都市生まれ。1980年京都大学文学部哲学科卒業、87年大阪大学大学院文学研究科博士後期課程芸術学専攻単位修得退学。89年学術博士(大阪大学)。博士課程では西洋美術史講座に所属していたが、アフリカの仮面や儀礼について研究。84年よりザンビア・チェワ族の村で2年間のフィールドワークを行い、その間に仮面の秘密結社「ニャウ」のメンバーになることを認められ、現在でもフィールドワークを続けている。国立民族学博物館には88年に助手として着任し、助教授、教授、副館長を経て、2017年4月より第6代目館長に就任。