淡い憧れが少しずつ
輪郭を帯びて夢となった。
初めての印象的な音楽体験といえば、小学5年生の頃。テレビアニメ「シティハンター」のエンディングテーマだった、TM NETWORKの「Get Wild」を耳にしたことです。子どもながらに“TKサウンド”に魅了され、キーボーディストという存在を意識するようになりました。でも、そこからすぐにキーボーディストになりたい! と思ったわけでもなく、その頃はただ、音楽は聴いて楽しむものでしたね。妹はピアノを習っていましたが、僕は全くでした。譜面も読めませんし、遊び半分に、実家にあった妹のアップライトピアノをちょっと触ったり、学校の音楽室にあるピアノをちょっと触ったりする程度。高校生の頃には友人とスタジオに入ったりもしましたが、その時はよくドラムを叩いていましたね。キーボードはほとんど弾いていなかったです(笑)。楽器はあくまで趣味の一つとして楽しむ、緩やかな音楽生活を送っていました。
結局、きちんとキーボードの勉強をし始めたのは、高校を卒業して、大阪にある音楽の専門学校に進学してからです。でも、プロを目指して学校へ行こう! と意気込んだわけではなく、正直なところ逃げ道というか。高校時代あまり勉強していなかったので、大学進学なんて考えることもなく、かと言ってまだ就職して働くのも嫌だな……なんて思っていた時に、趣味を活かして進める音楽の専門学校という道を見つけて。ここに入ればもう少し遊べるな♪ ぐらいの感覚で進学しました。もちろん、同じキーボード科のクラスメイトはみんな小さい頃からピアノを習っていたような、本気の人たちばかりでしたが。初心者は僕ぐらいという環境の中、ドミソの和音の押さえ方から何から、一から教えてもらいました。
そんな遊びの延長のような日々を過ごしていたとき、同級生がスタジオミュージシャンという職業があることを教えてくれたんです。それまであまり意識したことはなかったのですが、その同級生によくZARDの曲を聴かせてもらうことで、次第にアーティストのバックで演奏しているスタジオミュージシャンという存在に、自分の中でスポットが当たるようになって。表には立たず、演奏のみでアーティストを支える縁の下の力持ちのようなカッコ良さに惹かれ、自分もスタジオミュージシャンになりたい! と思うようになりました。ここでようやく、プロを目指すようになったわけです。
偶然なのか必然なのか
予期せず開かれたプロへの道。
専門学校を卒業後は、そのまま学校に残ってアシスタント講師を2年間務めた後、ちょっと無茶してみようと思い、ピアニカだけを持って単身ニューヨークへ。ニューヨークにはストリートミュージシャンがたくさんいて、きっとみなさん演奏が達者なんだろうなと思いながら乗り込んで行ったのですが、実際はめちゃくちゃ下手な人もたくさんいて(笑)。僕も遠慮なく混じって、マンハッタンとブルックリンで3ヶ月間、ストリートミュージシャンとして生活していました。あまりお客さんは寄ってきてくれなかったですけどね。遠目に見てくれている人なんかを意識しながら、一人でピアニカを吹いて。英語も喋れませんでしたが、イエスとノーだけで何とかやりくりしていました。
帰国後はまたアシスタント講師などをしつつ、大阪のミュージシャン仲間と一緒にバンドを組んでスタジオに入ったり、デモテープを作って事務所に売り込んだり。そんな中で母校の専門学校にも出入りしていたある日、偶然オーディションか新人発掘か何かで来校していたGIZAのスタッフと出会ったことが、大きなターニングポイントになりました。と言うのも、ちょうどGIZAが大阪の北堀江に作った「hillsパン工場」というライブハウスで、週1のライブイベントを始めるにあたり、その専属ミュージシャンとなるキーボーディストを探しているタイミングで。「それなら大楠くんどうですか?」とその場で先生も推薦してくださって、その結果今に至るわけです。これが2003年、僕のメジャーアーティストのバックで演奏する「スタジオミュージシャン」としてのスタートになります。
GIZAに所属してからしばらくは、予定通り週1で行われることとなった「hillsパン工場」でのライブを中心に活動していました。そのライブは、GIZAの新人アーティストが、毎週週替わりで出演していくというもの。でも、僕たちバックバンドのメンバーはずっと固定なので、毎週20曲ずつどんどん新たな曲を覚えていかなければならないという状況でした。ちなみにその時の課題曲は、オリジナルはなくて、全て往年の名曲たちのカバー。いわゆるポップスのスタンダードばかりでした。当時は1週間で20曲マスターすることにただただ必死でしたが、今思えば、事務所側が勉強がてら与えてくれた機会だったのかなと。さまざまな楽曲をコピーして演奏することで、アンサンブルとは、アレンジとは、キーボードの役割とは、なんていうことを自然と学ぶことができて、とても勉強になりました。そして約1年後、ビッグチャンスが訪れるのです。
ZARDのサポートに抜擢!
夢のような日々の中で得たもの。
「hillsパン工場」でのライブ活動をベースにしつつ、さまざまなGIZAの所属アーティストのサポートメンバーを務めることも増えてきた2004年、遂にZARDの全国ツアーに参加する機会に恵まれました。ZARDは言わずと知れたトップアーティストですが、特に僕の中では、ZARDのバックを担当しているミュージシャン=日本代表というイメージがすごくあって。いろいろなアーティストのサポートをされていて、CDを見ればクレジットに名前が載っているような方々ばかりで、ずっと憧れの的だったんです。いつか自分もZARDのバックバンドの一員になれれば……なんて夢見たこともありましたが、まさかこんなに早く実現するとは思いませんでした。GIZAの中でもトップクラスで活躍中の先輩ミュージシャンの方々が集まっている中に、まだ25~26歳の駆け出しの僕が入らせていただくという。嬉しい反面、本番までは、毎日ハイレベルなリハーサルについていくことに必死でした。
ZARDのバックバンドはとにかく人数が多く、ギターだけでも5人いるような大所帯。それでも、全員でバシッと音を合わせることで、重厚ながらもそれを感じさせないぐらい、坂井さんの歌が主役として際立つような絶妙なアレンジがされているわけなのですが、やっぱり大人数で合わせるのってすごく難しくて。サーカスの空中ブランコみたいなイメージで、全員がぴったり息を合わさないと成り立たないんですよね。だから、毎日リハーサルが終わってクタクタで帰宅して、すぐに寝ようとするんですけど、何となく緊張感に包まれたまま寝られない。さらに翌日のリハーサルのことを考えると、自分が足を引っ張らないかと不安になって、またそこから飛び起きてまた練習するという……。とてつもないプレッシャーを背負いながらリハーサルに参加していました。
リハーサルでこの状態なので、本番ではさらに緊張。もちろん自分にとって憧れのステージだったというのもありますが、このツアーは、ファンの方々にとっても本当に待ちに待った夢のライブだったんですよね。会場には、ようやく坂井さんに会える! 生の歌が聞ける! という期待感とか感動とか、圧倒的な感情が入り乱れて余計に煽られました。その上、ずっとZARDの音楽を聴いてきたリスナーの方々を前にしている以上、一音たりともミスれない! と自分を追い込んだ結果、尋常じゃない精神状態の中でプレイし、鍵盤を前にドの音ってどこやったっけ? と思うぐらいテンパったりもしましたよ。でも、少しずつ緊張も溶けてくると、正に今、夢が叶った瞬間なんだと幸せを噛みしめて。最後の頃は、もう思い残すことはない! と思いながら演奏していました。結果的には、生前の坂井さんと共演出来た最後のライブツアーになってしまったわけですが、この経験を通して、その後の方向性や、今に続く自身の演奏スタイルが確立されていくこととなりましたね。
→後編は、キーボードの魅力や自身の演奏スタイルについてなど、独自のキーボーディスト論を展開。最近ようやく確信したという個性についても解説いたします。
[vol.2] テクニックではなく一拍を大切に四分音符をしっかり美しく奏でる。それこそが僕の個性。
【LIVE情報】
『Sensation Live Image ~SPRING HAS COME 2018~』
3月3日(土) 大阪 / Flamingo the Arusha
■会場 : Flamingo the Arusha
■時間 : 開演 17:00 / 開演 18:00
■チケット代 : 前売¥5,500 / 当日¥6,000 (ドリンク別途オーダー制)
■チケット発売 : 12月12日(火)10:00~ hillsパン工場HPにて受付開始
http://livehillspankojyo.com3月11日(日) 東京 / 目黒 BLUES ALLEY JAPAN
■会場 : 目黒 BLUES ALLEY JAPAN
■時間 : 開演 16:30 / 開演 18:00
■チケット代 :
テーブル席(指定) 前売¥5,500 / 当日¥6,000 (別途シートチャージ¥540必要)
立見(自由) 前売¥5,000 / 当日¥5,500
■チケット発売 : 12月12日(火)14:00~ 予約開始
http://www.bluesalley.co.jp/
03-5740-6041 (受付時間 : 月~土12:00~20:00)

大楠雄蔵さん
大阪府出身。2003年より、大阪が拠点の音楽事務所「GIZA」に所属し、キーボーディストとして活躍。ZARDや倉木麻衣をはじめ、数々のミュージシャンのレコーディングやライブに参加している他、自身のバンド「Sensation」でも精力的に活動している。また、「GIZAミュージックスクール」や「大阪音楽大学」などでの講師も務めている。